5月2日(木)は臨時休診となります。

脳神経内科

神経内科っていったい?

よく友人から「だから神経内科っていったい何の医者やねん?」と訊かれるのですが、神経内科とは、神経学を扱う診療科です。脳神経系の臓器(中枢神経、末梢神経、筋など)を器質的に障害する疾患を内科的に診療するところです。と言われたところで、何だかよくわからないかもしれません。

脳神経系の疾患を扱う科は神経内科の他に、脳神経外科や精神科などがあります。とくに神経内科と精神科(神経科)の違いがわかりにくいようで、間違って受診される方がいらっしゃいます。そのせいもあって、数年前に日本神経学会は、標榜を「神経内科」から「脳神経内科」に変更したらいいよと通達を出したくらいです。

混乱をもたらす原因の一つは、神経という言葉が2つの意味を持っていることです。神経内科で扱う神経は、「神経細胞」とか「事故で腕の神経が切れた」とか言うときの神経です。一方、精神科で扱う神経は、「神経質」とか「神経を逆なでする」とか言うときの神経です。関西の誇る大スター、やしきたかじん先生がかつて、「僕の神経は〜三角形になって〜」と歌っていましたが、三角形になるのが精神科で扱う神経、細くて長いひも状のものが神経内科で扱う神経です。

紛らわしいもう一つの原因は、神経内科の成り立ちにあります。今でこそ神経内科と精神科は別の診療科として独立していますが、20世紀半ばくらいまでは神経内科なんてものはちゃんと確立されていませんでした。精神神経学会の分科の一つとして、また内科や脳神経外科の一部の神経学をやってる人たちが集まって、だんだんと神経内科が出来上がってきたようです。つまり、精神科が北斗神拳だとすると、そこから派生した神経内科は北斗琉拳ということになります。となると、切ることが得意な脳神経外科は南斗聖拳と言って差し支えないでしょう。

「神経内科=北斗琉拳」ということがわかったところで、少し北斗琉拳の説明をします。199X年くらいから遡ること約1800年、北斗神拳から分離する形で北斗劉家拳が誕生し、それが発展して後に北斗琉拳となりました。創始者はリュウオウで、北斗琉拳を極めたものの多くはその壮絶さに心を奪われ、心を悪に染めると言われています。ある一線を超えた者に至っては、愛も情もない魔界に入ってしまいます。そう、ラオウの兄カイオウがそうでしたね。

神経内科においても、私はあまりそうではなかったのですが、研修医のときなどは壮絶な日々をおくることがあったようです。毎日上級医にダメ出しされて深夜まで帰れない者、報告会議で教授にだす資料をつくるのに徹夜で作業する者もいました。そしてそんな日々に心を奪われ心を悪に染めるものが一定数いるのも事実です

ある日ある時ある病院の廊下を歩いていると、神経内科の医者が患者さんの歩行の様子を記録しようとビデオを撮っていました。そこは人通りもそこそこあるので、通った人が映り込んでしまうことも当然あるのですが、そのたびに医者は「聖域に入るな!」と怒鳴っていました。その医者にとってそこは聖域らしいのですが、もちろんただの廊下です。完全に魔界に落ちています。まるで商店街を封鎖するTVクルーのような横柄さでした。

少し話が脱線してしまいましたが、もう少し脱線します。日本科学未来館で開催されていた忍者展に行ったことがあります。まず入り口はいってすぐに、忍者になるための心得、忍者になるために不可欠な要素「心・技・体」の説明を受けます。その後、修行と言う名のアトラクションをこなすことで、心が強くなり、技が磨かれ、体が鍛えられます。純粋な心の持ち主はそうなったような気がします。そして最後に忍者認定カードがもらえるのですが、妻は「心」のカード、子供は「技」のカード、私は「体」のカードをもらいました。祝日だったので結構混雑しており、心身ともに疲れましたが、とても充実した楽しい一日でした。

話を神経内科のことに戻しますが、脳神経系の疾患を扱う診療科も、「心・技・体」に分けて考えることができます。「心」の不調や誤作動を診療するのが精神科、「技」を駆使して脳や脊髄の手術をするのが脳神経外科、「体」に不具合をもたらす脳神経系疾患を診療するのが神経内科です。診療対象となる疾患がオーバーラップすることも多々ありますが、だいたいそんな感じでよいかと思います。

頭が痛いとか、体がしびれるとか、力が入らなくなったとか、動きが緩慢になったとか、物忘れがひどくなって生活に支障をきたしているとか、そういうときは神経内科を受診してください。よくわからなくて受診された方も、診察して、もし他科の診療が必要なものでしたら、その都度そちらを紹介いたしますので、安心して受診してください。