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勇者ヨシヒロと書道の師範

うちの高校の書道の先生は、県下では高名な書道家のおじいちゃんだった。
西先生というのだが、「さ・し・す・せ・そ」の発音が「しゃ・し・しゅ・しぇ・しょ」だった。昔はそういう年寄りが結構いたものだ、たぶん。
生徒たちは彼のことを「シェイ」と呼んでいた。「西(ニシ)」の音読みが「セイ」で、前述の訛りを加えて「シェイ」となった。

同じクラスだったヨシヒロは当時書道六段との噂だった。
六段がどれほどのものかはよく知らないが、とにかくすごいのだ。だってヨシヒロは左利きなのに、普段は左で書いてるのに、書道は右で六段なんだ。右も左もいけるなんて、まるで高橋慶彦じゃん。もしくは正田。しかも隆造までスイッチ。あの頃のカープは強かった。
いつものようにシェイはみんなが書いた字を指導してまわる、そしてヨシヒロの番がきた。
おそらくシェイは六段より上だ。師範とかなんとか言っていた気がする。
だからヨシヒロが自信満々に書いた字であるにもかかわらず、おもいっきり朱墨で添削を入れた。
怒りでみるみる顔面が紅潮するヨシヒロを尻目に、シェイはヨシヒロの字の至らぬところを丁寧に指導した。決して手を抜かない、教師の鏡だ。
シェイの指導が終わると、ヨシヒロは朱墨に穢された半紙を粉々に破り捨てた。
その顔面は朱墨より赤かった。

真っ赤なヨシヒロは何を思ったか、前の席の生徒を指導しているシェイの背中に、墨汁で何かを書き始めた。
よく見ると、
「シェイ」
と書かれていた。
さすが六段、それさえも達筆だった。
徐々にザワつきが広がる教室、シェイも生徒たちの異変に気づき、
「みなしゃんなにがおかしいんでしゅか?」
と怪訝そうに訊ねる。
近くの女子が笑いをこらえながら、シェイの背中を指さした。
真っ白なワイシャツに漆黒の「シェイ」の文字、気付いたシェイは激昂し、
「だれがやったんでしゅか!」
と声を張り上げた。
みんなヨシヒロの方を見た。
大事なことなのでもう一度言うが、ひとり残らず全員ヨシヒロの方を見た。
ヨシヒロは真っ赤な顔でゆっくりと左手を挙げた、挙げざるを得なかった。
ちなみにこのときの真っ赤な顔は憤怒ではなく羞恥である。

次の時間、教室に体育教師がやってきて、ヨシヒロは連行された。我が校で最も恐ろしい体育教師で、剣道六段である。段位においてはヨシヒロと同格であるにもかかわらず、やけに高圧的だった。
その日、ヨシヒロは帰ってこなかった。
その日どころか、1週間くらい帰ってこなかった。停学処分が下ったのだ。

3学期、クラス文集を書かなければいけない時期がやってきた。
僕はあの日のヨシヒロを題材にした。あの事件を風化させてはいけない、ジャーナリストとしての使命があったのだ。
いっきに原稿を書き上げた。ヨシヒロの行動を俯瞰的に観察するさわやかお兄さんが、人格を持った不気味なお人形にその行動原理などをわかりやすく解説するという、NHK教育低学年理科のパクリ設定で、子供から大人まで幅広い層に楽しんでもらえる作品に仕上げた。
「あわわわ、お兄さん! ヨシヒロが半紙をやぶっちゃったよ!」
「すごく怒ってるね! こうやってサイヤ人は怒りで覚醒するんだ、悟飯ちゃんもこうやってスーパーサイヤ人になったんだったよね。」
「じゃあ、ヨシヒロもスーパー六段になるんだね!」
「みててごらん、ほら、七段になるよ!」

文集が発行されるやいなや思わぬ大反響を呼び、他のクラスでもその文集が出回り、みんなに回し読みされる事態となった。
授業中に読んで我慢できずに吹き出してしまい、教師に見つかってシバかれる者まで現れた。
あの一瞬だけはドラゴボよりも流行ったといっても過言ではなかった。

今となってはうろ覚えなのだが、確かその文の最後はこんなふうに綴った。
「停学覚悟でやったとしたらとんでもない胆力だ。でもバレないと思ってやったなら頭がおかしい。」
前者なら、ロトの血を引いていると思わざるをえない伝説の勇者として永遠に語り継がれることだろう。
彼が勇者であったなら、あの文集の内容は称賛として捉えられてもいいはずのものであった。

何故だろう、ヨシヒロはその後しばらく口を利いてくれなかった。

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